船のよもやま話

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帆船教育

今回書く内容は、帆船による船員教育についての個人的な雑感です。

 

日本には、「日本丸」と「海王丸」の二隻が帆船の練習船として用いられている。「あこがれ」も使用されているといえば使用されている様な。

 

かなり昔、この二隻の帆船に乗ることができたのは、東京と神戸にあった商船大学と五つの商船高等専門学校の学生だけでした。それも航海学科の学生だけで機関学科の学生は乗る機会が無かったのです。

今では、商船大学も無くなり、航海学科や機関学科などの区別も無くなり、商船学科と名を変えました。学生の数も減り、大学や高専の実習生も減っていきました。

その様な背景もあり、かなり前から商船大学や商船高専以外に海技学校の方達も実習生として乗船する様になった。と思ってます。

 

そのかなり昔、帆船教育の重要性として、自然を感じること、風や潮を読んで航海することが大事であり、外航商船の航海士は、その涵養を養うなどとの教育を受けました。

 

そして、商船高専最後の教育の締めくくりとして、帆船によって、荒れ狂う冬季の北太平洋を渡りハワイまで行くことが当時の慣習でした。ちなみに商船大学は夏の至って穏やかな太平洋横断。でも高専に比べると大学の方が花形。

 

冬の北西太平洋、正月明け、出港直後から、東京湾を出た野島崎沖から、揺れとの戦いです。風が無ければ帆船は進みません。早く目的地に着くためには、低気圧が必要です。

なので、冬季北太平洋は風速20m/s超えが当たり前で、暴風の中、大きなうねりや高波の中を突き進んで行きました。そりゃもう凄く荒れに荒れていました。

ハワイに着く頃、海は嘘の様に穏やかになります。そして入港後、常夏の地を満喫しました。

 

ハワイに行くほとんどの方は、片道、飛行機で8時間で行くところ、帆船で1ヶ月も掛けて、揺れに揺れて、風の力に頼って、わざわざ行くのです。これが帆船教育の一面でした。この「無駄な時間」が船乗りの涵養を養うと教育を受けていました。

加えて、六分儀を用いた天測も行われていて、これも涵養なのかも。こんな書き方になるのは、当時100人ぐらい乗っている実習生の中で外航の会社に行くのは数人だけで、ほとんどの実習生には関係のない話で、すでにGPSもあり、その前のNSSなども使用できる環境下での計算だったからです。

 

途中でマグロを獲っているから、その実習になるのでは?と思われた人がいるかもしれません。でも、商船教育の中には水産系の教育は含まれておらず、趣味程度の釣りしか行っていませんでした。

 

当時の船員教育機関は、商船大や商船高専だけでは無く、海員学校(海技学校)、水産大学、水産高校、東海大学や海保大、海保学校などがありました。しかし、それらの教育機関では、帆船教育を実施していませんでした。必要無かったのでしょう。

その昔の時で、既に、帆船教育が不要だったのだと思われるのです。

 

とは書きましたけれど、今、現在、帆船はあるものの、帆布を外し、帆走を行なっていないと聞きます。残念なものです。

 

当時、昭和の終わり、帆船に乗るには外航商船船乗りのたまごになるしか、乗る術はありませんでした。

それに乗る憧れもあって、船乗りを目指し、実際に乗るとその憧れはどこへやら。高専と大学の違いや社会的な商船業界の先行きの無さ。

船乗りにならない人を対象とした帆船教育にやしズリ教育、どうなのか?今では船乗りになる割合も増えているかもしれませんが。

 

今でも、帆走出来るのに、帆走しない、出来ない帆船。

今一度、考える時では無いかと思う次第です。